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ケービン跡、歩いてみた。→“鉄道旅”にロマンを感じた。 「てみた。」30

2018/02/27 2:00
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ケービン跡、歩いてみた。→“鉄道旅”にロマンを感じた。 「てみた。」30

1914年12月の開業から沖縄戦によって破壊されるまで、県内を「シッタンガラガラ」と走っていた沖縄県営鉄道。県民は「ケービン(軽便)」と呼んで親しんだ。

 嘉手納線の跡を追ったまつどう記者は、宜野湾、北谷を巡った。軽便鉄道の駅の間には、いくつか大きな用水路のような溝がある。「おきなわ軽便鉄道マップ」(ボーダーインク刊)によると、それは鉄橋の橋脚で、その上を線路が通っていた。

 宜野湾市伊佐の国道58号が宜野湾バイパスと合流する地点付近の住宅地。拝所になっている石垣に「新造佐阿天橋の碑」が建つ。その下の部分に直径約50センチほどの溝が確認できる。軽便鉄道の嘉手納線はそのすぐ上を通っていたことから、橋脚の跡とみられる。

 碑文の説明板によると、石碑は1820年に琉球王府によって佐阿天川に石造橋を新設した記念に建立された。橋の建立前、公道は傾斜地の険しい道だったため、海側を歩く人が多かった。

 そこで琉球王府は海岸側に石橋を建設し、新たな幹線道路となった。近くに住む97歳の男性は「碑文の後ろの方からちょうど北谷駅に向かう汽車が通っていた」と懐かしそうに語った。

 3年前、工事現場から那覇駅の転車台が発掘された。移築保存する予定で撤去されており、現場のどこにあったか分からない。やる気満々に駅員の帽子をかぶったたぶちゃん記者は「このへんかな」と何となく記念撮影した。

 参考にした本が出版された10年前と比べて家が減っており様子が分かりにくい。本をよく読むと公園にあったレールは撤去されたと書かれている。「あのレールは何?」。那覇市に聞くと公園にあるレールは軽便鉄道路線跡に沿って復元されたもので遺構ではない。勘違いでひっくり返った2人だった。

 サトウキビ畑と住宅街をたどる。お目当ては住宅街に残っているという糸満駅構内の便所。「これは何としても発見しなければ」。2人は便所捜索に燃えた。本と地図を手に探し始めて30分。範囲は狭いのに便所は一向に見つからない。料理中の女性を見つけて訪ねたが、この場所が糸満駅跡地であることも知らなかった。

 男性は大城宜四郎さん(90)。高齢を感じさせない足の速さで歩きだし、便所跡地をはじめ、かつての糸満駅の様子を話しながら辺りを案内してくれた。

 残念ながら、便所跡は数年前に取り壊されていた。「安全面を考慮したんだろう」という。詳細が知りたいかかず記者は夢中になり「この向きですか」と少しかがんで見せたが、宜四郎さんは「女性のトイレは別だったから…」と照れるように視線をそらした。われに返ったかかず記者。立ち上がりながら反省したのであった。

出典: ryukyushimpo.jp

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