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大野病院の内部公開 炊き出し、シーツ散乱

2017/11/26 5:03
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大野病院の内部公開 炊き出し、シーツ散乱

 玄関付近のホワイトボードには、けがで来院した約20人の名前や症状を手書きした紙が貼られたままだった。「津波にのまれ呼吸苦」「はさまれた」といった被災状況や、「赤」「黄」などと患者の症状の重さに応じて治療の優先順位を示す札の色が記されていた。県の委託で資料収集を担う福島大のチームが、放射線量を確認した上で院外へと運び出していった。

 同病院は原発から約4キロしか離れていない。当時は34人が入院し、100人余りの医師やスタッフが勤務していた。大地震で屋外にいったん避難後、安全のために患者を集めた平屋の外来棟には、シーツや布団が廊下などに敷かれたまま散乱していた。

 病院関係者が対策を話し合ったロビーの丸テーブルには、停電に備えたろうそくや、「東日本巨大地震」の見出しが躍る新聞が置かれていた。また救急搬入口には飲料水の容器やコンロなどがあり、ライフラインの停止で炊き出しをした形跡がうかがえた。当時勤務していた県職員の国島郁行さん(46)は「マニュアルはなく、各現場が必死に対応した。建物内はあの時のままで、貴重な資料になる」と混乱を極めた病院内の状況を思い返した。

 国島さんによると、震災翌朝は避難指示から約1時間後の午前7時、バス2台と救急車5台が到着。患者の家族や町民を含めて病院にいた100人以上が川内村へ向かい、2日後までに無事、患者全員が退院、転院した。原発の危機対応に当たったオフサイトセンターに近かったことから、センターへ直接行って情報を把握できたことが幸いしたという。

 福島大のチームは、震災発生時刻の午後2時48分で止まった時計や東電寄贈のニュース掲示板なども収集し、ドローン(小型無人機)で建物内外を撮影した。柳沼賢治特任准教授は「震災から避難までの臨戦態勢のような緊迫感が伝わる資料が残っていた」と語った。

 収集した資料は、県が20年夏に双葉町に開設する震災・原発事故のアーカイブ拠点施設に保存され、災害の記憶を後世に継承していく。これまでに被害や避難状況を伝える証言や映像など約8万6000点が集っている。

出典: mainichi.jp

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