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沖縄勢の初出場を逃した78歳、今もめざす甲子園

2018/06/23 1:28
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 1958年の夏。沖縄県勢として甲子園に初出場したのは首里高校だった。地方大会決勝で代表の座を争ったのは石川高校。優勝候補と言われて臨んだ大会で夢破れた当時の主将、石川善一さん(78)は、今も甲子園をめざしている。

 沖縄県うるま市にある石川のグラウンド。バックネット裏に陣取った石川さんがマイクで声を張り上げる。ミスがあると、容赦なく激しい言葉を浴びせる。自宅はグラウンドのそば。練習が休みの月曜以外、指導者として姿を見せる。捕手の新島練真君(17)は「厳しいけど、良いところはほめてくれるからうれしい」。

 石川さんは太平洋戦争が始まる直前の39年生まれ。戦後、米軍基地の米兵が野球に興じるのを見ながら育ち、自然と野球を始めた。石川に進むと頭角を現し、投手として活躍した。

 3年生で迎えた58年の大会は40回の節目。当時、夏の大会は全都道府県から代表が出場する仕組みはなく、沖縄は九州の他県の代表に勝つ必要があった。だが、この年には沖縄にも出場枠が与えられた。

 「頑張って、君たち4人の中から来なさい」。日本高野連副会長の佐伯達夫さん(故人)に言葉をかけられた。「石川が行きますから」。コザの安里嗣則さん(78)がそう答えるほど、当時の石川は強かった。

 甲子園で選手宣誓したのは首里の主将。ラジオを聞きながら「勝っていたら……」と悔しさが募った。卒業後は地元の社会人野球を経て、本土へ。本土復帰後、沖縄に戻り指導に携わった。石川は75年と89年に県代表になるが、その後は遠ざかっている。石川さんの夢は母校をもう一度、甲子園へ導くことだ。

出典: asahi.com

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