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理想は考える選手、見えない部分鍛錬 関東一・米沢監督

2018/06/14 3:23
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 勝利のために何ができるのか、土壇場まで考えられる選手。今の関東一で求められる理想の選手像だ。監督の米沢貴光(42)が、その大切さを思い知ったのは、高校球児としての最後の打席だった。

 1993年の第75回選手権大会東東京大会決勝。関東一の6番打者だった米沢は、ほとんどの球児が経験しない状況に立っていた。1点差を追う九回表2死二塁。二塁走者が本塁に戻れば同点、アウトになればゲームセット。ベンチで指揮していたのは、現在日大三の監督・小倉全由だった。

 マウンドには、のちにプロ野球・巨人やメジャーリーグなどで活躍した修徳の左腕・高橋尚成が立っていた。この大会で打率4割超えの米沢に、高橋はすべて直球で勝負に挑んできた。フルカウントから2球ファウルで8球目。米沢は外角低め直球を見逃すと、審判はストライクの判定。3年間、目指した甲子園が逃げていった。

 米沢は、中央大、社会人のシダックスを経て、00年秋、25歳で監督になった。当時の関東一は、94年の夏以来、甲子園出場はなかった。弾丸ライナーの本塁打、140キロ近い速球。若き指導者は、目に見える技術を追い求めて、早朝から夜遅くまで、とことん練習をやりきった。

 04年春、都大会で優勝し、第1シードを獲得したが、夏の大会ではあえなく初戦敗退。05年夏は5回戦、06年夏は4回戦で競り負けて、1度も甲子園に手が届かなかった。米沢自身も毎日の練習で、精神的に疲れ果てていた。

 米沢が高校生の時と比べて、今の高校球児は個人の技術を高められる環境にいる。プロ野球に加えて、メジャーリーグの試合も見られるようになり、SNSでは有名選手が練習法や野球理論を発信する、そんな時代になったからだ。

 よねざわ・たかみつ 1975年、東京都江戸川区生まれ。関東一を経て、中央大、社会人のシダックスで野球を続ける。現役時代は内野手と外野手。肩を痛めて現役引退し、00年秋に監督に。12年春の選抜大会、15年夏の選手権大会で4強入りした。同校事務職員。

出典: asahi.com

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