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逆境西野Jの勝算は? 「奇跡のゴール」伊東輝悦が語る

2018/06/14 1:21
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 日本サッカー史上最大の番狂わせといわれる「マイアミの奇跡」。1996年アトランタ五輪でブラジルを破ったこの一戦、勝利に導くゴールをあげたのが、43歳の今も現役の伊東輝悦選手(J3アスルクラロ沼津)です。前評判がいま一つのワールドカップ(W杯)日本代表に勝算は? 伊東選手に聞きました。

いとう・てるよし 1974年生まれ。静岡県出身。ポジションはMF。93年にJ1清水に入団し2010年までプレー。J1甲府やJ3長野などにも所属。17年に沼津に移籍した。11年に史上初のJ1出場500試合に達するなど、J1通算出場517試合(歴代7位)、30得点。日本代表として国際Aマッチ27試合に出場。

 僕はリバウドに対応することが多かった。彼はうまかった。身長がありながら速いし、足元のテクニックもあって、ああボール取れねえな、と。ただ、確かにブラジルはうまいけど、試合が進むにつれ、何とかなりそうだな、やれんな、みたいな感覚もつかめていきましたね。

 前半を0―0で折り返すと、ブラジルは焦りからか、「個」の力を主張するプレーになってきました。ロナウドを途中投入し、ドリブルを盛んにしかけてきたけど、その方が守りやすかった記憶がありますね。

 確か、ぞのさん(前園選手)あたりからサイドの路木さんにボールが渡ったんです。そのとき景色が見えたんですよ。得点が生まれそうな景色、ああチャンスだなって。ブラジルのゴール前に何となくスペースがあるのが見えました。日本がボールを奪い返し、ブラジルが(攻撃から守備に転じて)バランスを崩したときだったので、つけ込めそうだなと感じ、(ブラジルのゴール前まで)数十メートル駆け上がったんです。

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 こぼれたボールに触ろうかどうしようか迷ったんです。彰二(城選手)に悪いなって思った。あのとき、アウダイール(交錯したブラジルDF)に彰二が行っていたので、彰二がボールに触ったかもしれないと。ボールはゴールに向かって転がっていたので、そのままなら彰二のゴールじゃないですか。でも触っちゃいますよね。いいや触っちゃえって。試合後に確認したらアウダイールが触っていたので、(城選手でなくて)ああよかったなって。

 もう20年も前のことなので、西野監督からどんな指示があったかはっきりと覚えていないですが、(五輪代表チームに)分析スタッフもいたので、対策はしっかり練ったと思います。ブラジルの攻撃にグループで対応するよう、準備をしていたと思います。1対1では勝てなくても、うまくグループで対応すればブラジルの攻撃を止めることはできる。実際、試合でそれができた。能活(GK川口能活選手)のビッグセーブも大きかったですけど、あれもDF陣とうまく連係できていた結果ですね。いい準備があったから勝てたと思う。みんながブラジルに勝つっていう強い気持ちを持ててピッチに立つことができたのだと思います。

 W杯はサッカー界にとって大きな目標なので、(フランス大会の)あのピッチには立ちたかったですよ。(日韓大会は)力がないから選ばれなかったのだけど、けがで最後のアピールができなかったのは非常に悔しかった。ロシア大会でピッチに立つ選手にはベストを尽くしてほしい。多くが海外で経験を積んで、僕なんかより、よほどサッカーを知っています。アドバイスなんてありません。応援するだけです。

 西野監督は選手の個性を生かすタイプの監督です。(J1を制覇したガンバ監督時代は)攻撃的なサッカーをしていたので攻撃的な監督のイメージがあるかもしれないけど、あのときは遠藤保仁選手やいい外国人選手が攻撃陣にいた。選手が違えば違うサッカーになっていたかもしれません。ロシア大会でも選手の個性を引き出すチーム作りをすると思います。

 ハリルホジッチ監督が代わり、選手たちも、ハリルさんだけの責任ではなくて自分たちにも責任があると思っているでしょう。そういう意味で結束して結果を出したいという思いはより強まっただろうし、そのあたりも含めて西野さんがいい方向に導いてくれたらいいですね。

いとう・てるよし 1974年生まれ。静岡県出身。ポジションはミッドフィールダー(MF)。東海大第一高卒。93年にJ1清水エスパルスに入団し2010年までプレー。J1甲府やJ3長野、J3秋田に所属。17年に沼津に移籍した。若手のころはドリブルが得意な攻撃的MFとして活躍し、その後ボランチにコンバート。確かな技術と豊富な運動量を武器に攻守のつなぎ役を果たす。11年に史上初のJ1出場500試合に達するなど、J1通算出場517試合(歴代7位)、30得点。98年W杯フランス大会代表。日本代表として国際Aマッチ27試合に出場。

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出典: asahi.com

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