アングル:ネイティブアメリカンの「砦」へ、640キロの馬旅

2018/08/12 1:12

5 0

[グリーングラス(米サウスダコタ州) 2日 ロイター] - 米ノースダコタ州スタンディングロックで石油パイプライン「ダコタ・アクセス」の建設に抗議するネイティブアメリカンを6週間にわたって取材した。それは、同地で抵抗している多くの人を知る、またとない機会だった。

スタンディングロック居留地の南、シャイアンリバー居留地から来た、ラコタ族の祈祷(きとう)師イバン・ルッキングホースさんは、記者が出会ったその1人だ。

イバンさんは今年、「スーの国」と米国政府とのあいだで結ばれたフォート・ララミー(ララミー砦)和平条約150周年を記念するラコタ族(スー族を構成する3部族の1つ)によるライド(騎行)に招待してくれた。

連邦政府はこの条約の下、ダコタ・テリトリーのブラックヒルズをグレイト・スー居留地の一部として認め、スー族と白人入植者のあいだの敵対関係は終結した。

約640キロに及ぶライドは4月半ば、サウスダコタ州グリーングラスを出発した。全ラコタ族の精神的指導者であり、イバンさんの兄弟であるアーボル・ルッキングホースさんの本拠である。目的地は条約の締結地であるワイオミング州フォート・ララミーだ。

シャイアンリバー居留地の中心となる街イーグルビュットに行くには、サウスダコタ州ラピッドシティーまで飛行機で飛び、そこから3時間のドライブが必要である。あいにくの吹雪にもかかわらず、イバンさんは記者を迎えるために待っていてくれた。

イバンさんには、ライドに向けた護衛チームが付き添っていた。その一部は、抗議行動の際にも警備員として働いていた。スタンディングロックでの抗議のあと、彼らの一部はミズーリ川を下ってローワー・ブリュール居留地に移った。アルトン・ワン・フェザー・シニアさんの説明によれば、そこでは「ネットフリックスを視聴する以外は、祖先と同じような生活ができる」という。

翌朝、イバンさんと彼の友人のウマさん、護衛チームのメンバー6人、それに記者は、グリーングラスの小さなコミュニティーに向かう雪に埋もれた道に車を走らせた。

スタンディングロック居留地、パインリッジ居留地から参加する他の主催者も到着した。私たちは丘に登り、手をつないで輪をつくり、4つの基本方位に向かい、イバンさんがラコタ族の歌を歌っているあいだ、パイプを回してタバコを吸った。

トレーラーで馬を運んできた人たちもいた。彼らの話では、アーボルさんは野生のもの、調教されたものを含め100頭の馬を保有しているという。彼はライドに参加する親戚その他の人に数頭を提供していた。記者は馬に乗ったまま写真を撮るつもりはなかったので、自動車も必要だった。

スタンディングロック居留地のアレン・フライング・バイさんは、「注意深く見れば、多くの人が彼らの血を引いている。私たちの父が生きていたころ、私たちの祖父が生きていたころ、彼らは条約を維持し、ラコタ族のなかでそれについて語り合っていた」と言う。

夜明けと日暮れどきには、乗り手と馬が輪になって「燻(いぶ)される」のを待つ。1人が、棒にくくりつけられたコーヒー豆の容器のなかで煙を上げるセージを人々に回す。セージは薬草として浄化作用があると考えられており、人も馬も皆その煙を浴びる。

その後は祈祷と、そしておそらく歌が続く。朝であれば、聖なるつえを持った1騎を先頭に、乗り手たちは1列になって出発する。夜は、馬たちを囲いに入れてから夕食だ。

私たちはグリーングラスを出発し、シャイアンリバー居留地を抜けてブリッジャーと呼ばれるネイティブアメリカン居留地に着いた。各コミュニティーでは乗り手たちに食糧が提供される。ブリッジャーでは揚げパン、チキンスープ、バッファローのシチューをいただいた。その後、私たちはコミュニティーセンターで寝袋を広げた。

居留地を離れて最初に足を止めたのは、サウスダコタ州ウォールだった。寒さと雨のなか、乗り手たちは3日間、安ホテルの裏手にあるロデオ競技場のぬかるみや州間幹線道路で眠った。わびしい環境だったが、意気軒昂(けんこう)だった。

シャイアンリバー居留地から来たカーミットさんと名乗る皮肉屋の料理人は、テントを張り、ボランティアを買って出た数名の乗り手の助けを借りて、次々に料理を送り出す。他の者は「ハリウッド式」と称して、ホテルの1室を共有して交代でシャワーを浴びる。

いわゆる「インディアン・カントリー」を抜けていくあいだに、ライドにはラコタ、ダコタ、ナコタ、アラパホ、シャイアンといった関連する部族が加わっていった。いずれも条約に署名した部族だ。

進み続けることは「ラコタの土地」を離れ、ネブラスカ州に入ることを意味していた。同州では、乗り手たちはもっぱら路傍で眠り、食事はキャンプ場の料理人に頼っていた。

ある夜、彼らは露営地で、サンテ居留地から来たサンテ・スー族とレイクトラバース居留地から来たダコタ族(俗にシストン族とも呼ばれる)が、ライドに参加するために待っているのを見つけ、士気はさらに高まった。新たな参加者と、ここまで旅を続けてきた参加者をたたえる儀式が行われた。

フォート・ララミーまであと2日の距離に至ると、人々は他にどの部族が集まっているか、連邦政府側の代表として誰が参加しているのか、興奮気味に推測した。儀式と太鼓の演奏があり、ティピーが立てられ、人々がたき火の回りに集まった。

道程が長く困難だっただけにフォート・ララミーへの到着は勝利であり、祝福すべき重要な機会だった。乗り手たちは儀式用のティピーを囲み、条約が署名された場所へと河を渡っていった。

だが、ほぼ全行程を騎乗してきたシャイアンリバー居留地の代表者ハロルド・フレイジャーさんは、それでも不満を感じていた。ワイオミング州選出のジョン・バラッソ上院議員は出席していたものの、他には連邦政府の高官は誰も来ていなかったからである。

出典: jp.reuters.com

カテゴリページへ

Loading...